メジャーデビュー22年目を迎える湘南乃風。これまで横浜スタジアムや大阪万博記念公園で大規模ライブを成功させてきた彼らが、新たな挑戦の舞台として11月15日(土)に甲子園での初のワンマンライブを開催!その本番を前にエントリー独占インタビューを敢行。

若旦那、HAN-KUN、RED RICE、SHOCK EYE、メンバーそれぞれに「初めてのアルバイト」から「甲子園ライブへかける想い」までを語っていただきました。
【初めて経験したアルバイトの思い出】
若旦那「お寿司屋さんの厨房で働いていました。これまで経験したアルバイトのほとんどが飲食店の厨房でしたね。そのうち、仕入れから仕込みも全部やるようになって・・・もう社員ですねあれは(笑)」
HAN-KUN「15~6歳の頃、アイスクリーム屋さんです。周りもみんなアルバイトを始めていた時期だったし、横並びで俺もやろうかなって思ったぐらいな感じ。どちらかというと、音楽を始めてから経験したアルバイトの方が・・・(具体的には後ほど詳しく)」
RED RICE「高校入ってから最初に始めたのはガソリンスタンドかな。16歳になってすぐバイクに乗りたくて免許を取って。スタンドだとバイクに乗っている先輩が集まっていて、結構落ち着く場所だったっていうか、いい感じの輪に入れるというか、楽しかったっす。」
SHOCK EYE「高校1年の時、初めてバイトしたのが横浜スタジアム。警備スタッフとしてファウルボールを拾ったり、お客さんに席の案内をしたり。うちの兄貴がやってて、それで「やりたい」って言ってついていったのがきっかけかな。日雇いで何回かだけだったけど。2013年開催のライブ「十周年記念横浜スタジアム伝説」のMCでもこの話を思い返して当時のことを喋りました。
HAN-KUN×バイト

―これまで経験した中で、いちばん思い出深いアルバイトはなんですか?
19、20歳ぐらいの時っすね。音楽を始めて、ジャマイカに行くためにお金を貯めようと思って。平塚にある大きな商業施設のオープニングスタッフとして警備員の仕事させてもらった時があって。世代的には僕の下もいたし、上もいたし、普段主婦をしながらやられてる方とかもいて、世代と性別を超えて、なんか1つのチーム感があったっていうか。同じ仕事に向かって同じ矢印が向いてるけど、制服脱いだらそれぞれの服を着て、それぞれの道に戻って、で、その人たちのそれぞれの道の話を聞くのが楽しくて。同様に僕も、「自分が実はこういう音楽をやってて、ジャマイカに行きたくてお金を貯めてて」みたいな。
新店舗が始まるよっていうおっきなイベントがあったから、みんなで肩組んで始めるぞっていうのがあったのが、やっぱすごい。1ヶ月前ぐらいから研修受けて、なんとなく顔見知りになったりして、その後、練習期間は他の店舗で研修して、で、いざ、その当日を迎えて、みたいな。始まる前から、なんとなくチーム感ができてきて仕事終わっても、みんなでご飯食べたりとか、普通にプライベートとかも繋がれるようになって、「なんか仕事ってすごい楽しいな」って。研修期間中に学ぶことがめちゃくちゃ多くて、わからないことも助け合えたし、教え合えたし、みたいな達成感がめちゃくちゃあったんすよね。それまでは、サッカーとか、ダンスとか、もちろん歌もですけど、自分の好きなことでの達成感ってのはあったんですけど、俺は学業も苦手だったし、学業での達成感もないし、自分が本当に好きだと思ったもの以外での達成感っていうのは人生で味わったことなくて。で、仕事も好きだと思ってなかったし、最初は正直、ジャマイカ行くためだったけど、仕事でこんなに達成感あるっていうか、面白いと思えたことなかったから、うん、仕事って面白いんだなとか、アルバイトが新しい自分の達成感と経験をくれたっていう、うん、すごいいい時間でした。
―今でも、当時のアルバイト仲間と繋がっていますか?
会社の飲み会に誘われたことがあって。その時に「頑張れよ。いつでも戻ってきていいからな」って言われたんで、「戻らないように頑張ります」って。それから何年かして、湘南乃風としてデビューさせてもらって、地元の方に帰る時とか、たまたま街で会ったりとかしたら、頑張ってるかって声もかけてくれるし。当時の仲間がその場所をホームとして、なんかそれぞれで活躍してる人がたくさんいるんだなと思って、また、自分が頑張れば、そのみんなにも声が届くっていうか、名前も顔も届くんじゃないかと思って、たまにそういうの思い出しながら頑張っているって感じです。

―どんな仕事をしようか?悩んでいる人へアドバイスをお願いします。
考えすぎない方がいいのかもしんないなと思う。やってみてから判断しても、特に今の時代遅くないと思うし。だから、考えすぎてワンステップ目を遅くするよりかは、いっぱい失敗して可能性のワンステップを増やした方が、未来に対する近道になるんじゃないかなと思います。自分も、向いてないって思ってやっても、意外とそこでめっちゃ絆もできたし。いや、ほんとにやってみないとわかんないことがあると思います。
SHOCK EYE×バイト

―今の音楽人生につながる『転機』となった仕事について教えてください。
ちょうどデビューする前ぐらいに、箸にも棒にもかかんない時期があったんですよ、個人でやってた時に。その時にアルバイトをしてたのが、ビル清掃。朝8時ぐらいに1台の車乗って、出発して、で、ビルを2、3軒ぐらい清掃して回って、17時に終わるみたいな。4、5人ぐらいのグループでその3人ぐらいはいっつも同じなんですよ、毎日。そん時、俺、あだ名が“レゲエ”って呼ばれてたんですよ。僕がレゲエの歌を歌ってるっていう話をしてたから。ある日、たまたま休み時間の時にラジオから、よく一緒に現場とかでも一緒になる、ちょっとうまくいってるレゲエミュージシャンの曲がかかったんですよ。それがなんかすごい苦しくて。自分は半分いじられながらレゲエとか呼ばれてんのに、片や、そのラジオからは知り合いの曲がかかったんですよ。その時に、もうどうしても嫌になっちゃって。行きたくなくなっちゃって。24歳の時だ。当時同棲していた彼女、今の奥さんが仕事行かないでどうすんのって言うんだけど、いや、もう行きたくないって話になって。最初は理由を言わなかったんだけど、みんな仕事なんかしないで、音楽に夢中になってんのに、自分は仕事しながらだから集中できないし、そのせいで自分はうまくいってないんじゃないか、だから集中させてほしいって話をした時に、じゃあ期限付きで26歳になるまでに形になんなかったらもう音楽やめるって約束したんですよ。
―夢を追いかけることに不安はありませんでしたか?
やりたいことを仕事にできるって、半分信じてなかったと思うんすよ。もちろん、音楽を仕事にできたらもちろん嬉しいし、でもビル清掃の仕事しながら家庭を持って暮らしていくのも幸せそうっていう世界も見えたんで、どっちでもいいやと思ったんすよ。でも約束した1年半は死ぬ気でやろうと思って。そっから毎日スタジオ行ったり、いろんな現場行ったりとかしてやって、僕、26歳でデビューですから。
―音楽の道に進んでからも、アルバイトの経験が生きているな~っていう事はありますか?
超役に立ってますよ。それで、いや、もうめちゃくちゃ役に立ってる。なんかこう、目の前に与えられていることだけを黙々とやるのもいいんですけど、自分は結構、その仕事自体の仕組みっていうか、もうちょっと1歩2歩踏み込んだところぐらいまで興味があって。例えば、どうすればもうちょっと現場をうまく回せるだろうかとかをすごく考えたり、マニュアルって基本的にあるんだけど、それを超えたところで考えたりとか。今でも全体を見る癖っていうのは、仕事してて思うし、歌を作るだけが僕らの仕事じゃないから、歌を作って、歌を歌うだけの能力が高けりゃいいのかって話でもなくて、やっぱこう、いろんな役目があって、その役目が全部気持ちよく機能したとき、1番、うん、気持ちのいい職場になるっていうか。それはなんかバイトで培ったと思う。

―これから新しくバイトを始める人へのメッセージをお願いします。
恥をかくとか、ちょっと自分の価値を認めてもらえなかったとかもあるかもしれないけど、要はトライしてクリアして、乗り越えて、自分の自信にしていけばいいと思う。なんか俺が思うんだけど、仕事の上で大事なのっていうのは、能力ももちろんやってくうちに大切になってくるけど、それよりは、なんか楽しもうとか、愛嬌があったりとか、一生懸命学ぼうとする姿勢があったりとか、そういうことの方が重要だったりするから。とにかくイメージして楽しめそうな仕事。アルバイトはとにかく、自分の将来の、例えばやりたい夢とかと全然違う職種だとしても、なんかやってみた方がいいんじゃないかなっていうか。で、無駄になることは1個もなかった気がする。
RED RICE×バイト

―アルバイトのつながりがきっかけでレゲエや湘南乃風のメンバーとの出逢いがあったそうですね。
藤沢のスナックでボーイのアルバイトをしていたときに、先輩が隣でやっていたバーに行くようになって。そこでレゲエかけて歌ったり、たまにイベントになるとMOOMINさん(地元・湘南のレゲエアーティスト)も来て歌ったりとかしていて。ある時、お前もちょっと一回歌ってみろよみたいなむちゃぶりされて、見よう見まねで曲を書いたけど、最初の一行しか歌詞覚えられなくてっていうのがデビュー戦だった。そこで歌ったから、その後HAN-KUNと出会ったんだけど。何というか、導かれたというか、絡み合っていて。俺はそのバイトを通ってなかったら多分(音楽を)やってない。
あとは海の家。10代から自分の仲間たちがみんな海の家で働いてて、夏すっげえ楽しそうだから、いつかやりたいなと思ってて、それで23ぐらいの時には海の家で焼きそば焼いたりしてた。その海の家はMOOMINさんが建設のバイトで建てていて、俺としては、もう地元のレゲエのスーパーシンガーで、憧れの人だったから、そこでバイトしてみたいってなって。それまで、パンクバンドとか好きだったし、自分がプレイヤーになるみたいな意識は全然なかったんだけど、そのバイトを通して、なんか身近にMOOMINさんのこと感じられて、音楽やってみたいなって。地元でバイトしながら音楽をやるっていう同じような道を歩んでる人がいるっていうのはすごく、自分にとって後押しになった。

―音楽との出逢いのほかに、アルバイトを経験して良かったことは何ですか?
俺は短期バイトとかをいっぱいやることによって、いろんな縁もできたし、いろんな学びもあったし、それが直接社会で役立たなくても、なんつうのかな、人間性とか、いろんなものの深みとかに勝手に作用していくと思うんで、これは得だからこのバイトやろうとかそういうことよりも、いろんなバイトにどんどん、どんどん挑戦したらいいと思うし、今はね、俺らの時代と違って、こういうね、そういうサイトでポンって探せたり、情報がいっぱいあったりとか。いろんなことやることによって、例えば俺らみたいに、こう、アーティストを目指すとか、なんか人前で何かをするとか、お芝居したいとか、そういう人はもう無数に経験しといた方が、絶対、うん、絶対引き出しが。例えば、人生でこの人と結婚したいみたいな好きな子ができた時も、自分の深みある話ができたら、俺、色んな、こんなことして、こうなったんだっていう話、この人面白いとか、そういうのにも繋がるから、直接的な損得とか金額だけじゃなくて、うん、経験として、やってみたらいかがでしょうか。
若旦那×バイト

―アルバイト経験から学んだことやその後の人生で役に立ったと感じることはありますか?
学校とか部活もいいんですけど、やっぱアルバイトで社会を学ぶというか。すごいこう、脳みそをフル回転させないといけないじゃない。お金をもらうって。高校生とか10代20代の前半とかアルバイトすることで体力、知力、礼儀とか。社会に適合する力とか、生活力みたいな、そういうものは備わったような。自分の今の事務処理能力とかタスク管理とか、そういうのはやっぱバイト時代に全部備わったと思う。
建築の現場やったり、引っ越しの現場やったり、厨房やったり。あと、高校生の時から先輩に「高校生ビジネスの企画書を書け」って言われてそういうのでお小遣いもらったりしてましたね。僕、湘南乃風以外にも会社の経営とかやっているんですけど、それは本当にアルバイトの時とかに備わった。高校生の時にひたすら企画書を書かされて、それを週末実行して、そこでお小遣いもらうみたいなことばっかやってたんで、すごくアイディア出しとか、この町で何ができるんだろうとか。だから結構プロデュースとかアーティストのいいとこを引き出す力とか、レコード会社の経営とかそういうのもここで培ったのかななんて思いますけど。
―若旦那さん自身、甲子園には特別な思いがあるそうですね。
自分の目指してた場所なんで。老後は甲子園のそばに住むって決めてたぐらい思ってた憧れの場所で。自分、タイガースファンは生まれてからずっとなんですけど、なかなか甲子園に大人になるまで行けなくて。初めて甲子園に行って、六甲おろし歌わせてもらったんですけども(※2023 JERA クライマックス・シリーズ セ」ファイナルステージ第2戦阪神勝利)、ものすごくて。その時に、自分の父親が亡くなった時に「タイガースをお前に頼んだ」っていうのは自分の父親の遺言で、今親父が空から見てると思うんで、一緒に歌えたと思いますっていうことを話したら、みんな凄く祝福してくれて。これメンバーに体感してもらいたいっていうのもありまして。その時に湘南乃風でもここに戻ってこられたら、俺は、親孝行、生きてるうちはあんまできなかったけど、親孝行できるかな、なんて思ってます。

―『熱唱甲子園』では、「プレミアムバイトスタッフ」がバックヤードの運営サポートを担当しますね。
そういう子たちにいい背中見せたいなと、うん、思ってます。一歩裏に入るとこんな光景があって、一歩踏み出すっていいなって思えるような。やっぱこう、表面じゃない、例えば木の部分で言うと、土の上から出てる木の部分じゃなくて、根っこの部分じゃないですか。で、根っこって見えないし、評価もされないし、でも、その見えない部分で、人間などんな立ち回りしてんのかとか、どんぐらい真剣な表情してるのかとか、そういうところは、ぜひぜひ見てってもらいたいです。
